利き手の矯正、オススメしません。
特に、周囲が色々頭でっかちになって
強制する場合は特に。
本人が『出来ることを増やす!』など、
前向きな感情で取り組む場合は別です。
しかし、その場合は
ケースバイケースで手を使い分ける
『両利き』になっていくかと思います。
メンタルに与える影響
本人が望んでいない場合、
望んでいないことを押し付けられる。
苦痛です。
物心もついていない状態で、
理解していない時に、行動を制限されるのです。
記憶(顕在意識)に残らない状態で
潜在意識に刷り込まれるのです。
個人的な話ですが、
幼少期にピアノを習っていたのですが、
左手のパートを間違えるたびに、
『左手は悪い手』と自ら罰していた記憶があります。
矯正される時に、
あからさまに叱られることはなかったようですが、
(記憶にない)
どこかで、
『左手を使うこと⇒悪いこと』
と捉えていたようです。
また、
『潜在意識には、主語が無い』
とよく言われるのですが、
『左手(主語)⇒悪い』
から主語が抜け落ち、変化して
『(自分は)⇒悪い』
となり、自己否定に繋がっていた感じがあります。
全ては自分で選んできたことだと思っているので、
この経験すら、自分で選んだこととして、
矯正されたことに関しての思いは解消していますが、
起きたことの事実として、
これから同じことが起きるのを
ただ見過ごすのは本意じゃないために、
この記事を書いています。
筆者のように、
『矯正をされた』事実を伝え聞いていれば
まだましですが、
(いずれ、情報と現状を照らし合わせ謎解きができるため)
まったく、知らされていず、
また、顕在意識で認識していない場合、
『どうやって気づいていくのか?』
とても、疑問ですし、
また、とてつもない回り道をする可能性があることを
憂いてしまいます。
身体バランスに与える影響
単純に、自然のバランスを崩します。
そもそも、すべて、完全なバランスで生まれてきているわけです。
そのバランスを、本人の意思に関わらず
崩してしまうのが、矯正です。
利き手が左であることが
全身の筋肉発達バランスを支えていたのが、
右に変えさせられることによって、
崩れるのです。
そうすると何が起こるか?
日々、何かしら不具合が起き、
最悪、ケガに繋がります。
余談ですが、
筆者は身体の左半身にケガが集中しています。
利き手矯正のため、
本来、あるべきはずの筋力が保持できず、
逆側に筋力が付き、
上半身と下半身のバランスがおかしくなり、
立ち姿、動きに悪影響が出た結果ではないか?
と考えています。
実際、小学生くらいまで、
左手の方が、握力がありましたが、
その後、右手の握力が勝つようになりました。
そりゃ、日頃から使う方に、
筋力がついていきますよね。
自然は完璧なバランスで動いている
利き手がどちらであるかも、
得手不得手があることも、
好き嫌いがあることも、
全て自然なことです。
自然は、
(人間には)計り知れない理で動いています。
例え、子どものことを思っていたとしても、
それは、人間の狭い視野でのこと。
自然、宇宙の理から見ると、
余計なことをしているのかもしれないですよね。
人間社会でだけの立ち振る舞いじゃなく、
そういう感覚を、保護者が持てるようになるといいな、
と思います。
自主的に右利きも選んだ人。武田双雲さん
武田双雲さんは、
元々左利きで、書道はどちらも使えるそうです。
詳しい記載は省きますが、
ご両親が
『この子は天才だっ!』と
生まれた時から思われたそうで、
何をしても、
『さすが天才!』と言われたそうです。
存在を全肯定をされながら、
書道が身近なこととしてあり、
楽しんで続けていたら、
右も左も使えるようになっていた、
そんな感じなのではないかな?
と勝手に思っています。
ちなみに、
左手・右手に関するご本人の記事があったので、
転載しておきます。
みなさまは、どう感じられるでしょうか?
【天才か、変人か】書道家・武田双雲からみる「左利きの圧倒的な才能」すごい左利きファイルVol.3「武田双雲」
筆者:加藤俊徳(脳内科医、医学博士)
まとめ:何事も必然。そのままを受け入れるのがベスト?
記憶にも残らないくらいの時に、
利き手を矯正されて生きてきました。
『矯正されなかったら、どうなってたんだろう?』
と思うこともありますが、
矯正されたことに、意味があるとも思っているので、
これでいいんだろうなぁ?
と思っています。
メンタルに関する影響は、
『気付けなかったら、恐ろしいことだ』
とは思っています。
(気づいてても、つい、長年の思考クセがでますし)
人の≪善かれ≫も裏表があるものだし、
完璧ってないかもな?
というところに、落ち着くのだと思います。
ちなみに、
親が気づきもしなかったところでは、
左利きが残っていたりします。
ところどころで、左を使うクセがあったためか?
情操教育としてピアノを習っていたためか?
パソコンのタイピングは、
最初に基礎を教えてもらったぐらいで、
特に特訓をしなくても、
『自分でゆっくり考えるぐらいのスピード』で
入力ができます。
また、
かなり下手くそではありますが、
左手でもお箸が使えたり、
文字を書くことも可能だったりします。
もし、自主性に任されてたら、
左手しか使わない選択をしていたと思うので
(めんどくさがり・短気)
これでよかったのかなぁ?
と思うこともあり、そうでないこともあり、
です。
ただ、繰り返しますが、
矯正には、メリット・デメリットが出ますし、
不自然なことではあるので、
『そもそも、なぜそうしようと思うのか?』
を一度深堀した方が良いと思っています。
ホントに、良いことだけなのか?
悪影響はでてこないのか?
じっくり考えてから
答えをだして実行されることをオススメします。