毒親の特徴。人との衝突を恐れ我が子に制限をかける

毒親。
市民権を得てしまった単語ですね。

もともとは、『毒となってしまう親』という言葉だったのですが、
『毒親』の方がインパクトもあるし、何かと都合がいい人も
いらっしゃったのだろうなぁ、と感じています。

まさに『毒親』と称される人たちは、
親側としても『愛』と『愛情』をカン違いして進んで行ってしまい、
子の立場からすると、『毒親』なのだろうと思います。
(ホントは、すべて選んできているのだと思いますが)

ちなみに、『愛』も『愛情』も『LOVE』と思われがちですが、
『愛』が『LOVE』で、『愛情』は、『AFFECTION』が近いのではないか?
と思います。

愛は、『大我の愛』や『無償の愛』と言った感じですが、
愛情は、『エゴ』や『小我の愛』だったりします。

ここら辺、どうしても混同されがちですが、異なるもの。
毒親は、『愛情』で動いてしまうことが多いようです。

 
 

毒親は『人に嫌われる』『ダメ出しされる』恐怖から先回りで制限してしまう

究極の愛は、見守ること。
子どもが望むことが出来るように“ある程度”環境を整えたり、
自由に動けるように配慮すること。

ですが、『失敗』しないように先回りして手出しをしてしまったり、
過剰になると、行動すらさせない状態になっていたりします。

『失敗』された後の始末が面倒だったり、『他人からの批判』を恐れたり、
自発的な行動の芽を摘む行為に走ります。

成長には『失敗』が付き物です。
『成功』しかしない人生は、守りに走って、行動を制限します。

何事も『行動』から始まるのに、それを『制限』してしまうのは、
『指示されないと動けない』状態を作り出しかねません。
『自分で判断すること』が、親よりも長生きする子どもには必要なことです。

親が出来るのは、自立できるまでの少しの間、
『いざとなったときに逃げ込める場所』であることです。
ずっと守り続けることではありません。

 
 

全ては失敗ではなく経験。学んで選択する力をつける

そもそも、『失敗』というのは、一つの視点からだけ見た時に使う言葉です。
一つの視点から見た場合は、『失敗』でも、多くの場合、それは『経験』です。

もちろん、『経験』だからと言って、生命が危険に晒されることは
親としては望ましくありませんし、到底許可が出せないことだと思います。
だからといって、誰も入って来れない鍵付の部屋に閉じ込めることも意味がありません。
個々の段階に合わせて、あまりにもかけ離れているところを目指しているなら、
それを細分化して、実現可能なところを一先ず目標設定にしてあげるなど、
『今、無理なく出来ること』『多少のチャレンジが必要なこと』を
提示してみせる。

しかしながら、究極、『子どもは預かりもの』であって、
『親の附属』でもなければ、『親が将来を決めていいもの』でもありません。
段階に合わせて、親が『子離れ』出来るよう、自分の状態を整える。
これが、本当は一番大事なことかもしれません。

一定の年齢を過ぎたのであれば、本人が自分で調べ納得して選択したのであれば
『生命に危険を及ぼす行為』であっても、止める権利は親にすらないのだと思います。

なるべく、『ずっと一緒に居たい』『自分より長生きしてほしい』という気持ちは、
人の本能としてあるものだとは思いますが、それを強制することは、
我が子であっても『出来ないこと』なのだと、覚悟が必要なのかもしれません。

 
 

子育て四訓。肌を離すな。手を離すな。目を離すな。心を離すな

山口県下に住む教育者の方が、まとめた言葉として以下のものがあります。

【子育て四訓】
・乳児はしっかり肌を離すな
・幼児は肌を離せ、手を離すな
・少年は手を離せ、目を離すな
・青年は目を離せ、心を離すな

乳児でいる期間は、人生の中でそう長くはありません。
また、一番かわいい盛りです。
肌を離さず、しっかりと傍に寄り添う。

幼児は、段々と自我が出てきて、主張も出てきます。
しかし、まだまだ自分一人で出来ることには限りがあります。
しっかりと手を繋いでいること。

少年になると、もう大概のことは自分で出来ます。
手を離して自由に行動することを覚えてもらい、
ただ、必要なときにはすぐにサポートに入れるよう
目はしっかりと離さずにいる。

青年になると、もう立派な大人。一人の人間。
いつまでも見守る必要はありません。
しかし、成長したといえど親子は親子。
心はしっかりと繋がっている。
信頼関係がしっかり出来ていれば、例え
互いのいる場所が離れていても繋がっていると思えること。

そうやって段階を経て、関係性を徐々に変えていく。
それが、好ましい親子関係へ成長するための過程のひとつではないでしょうか。

 
 

やってみて、言って聞かせてさせてみせ

元々は、上杉鷹山と言う方の
『してみせて 言って聞かせて させてみる』
と言う言葉がオリジナルと言われています。

これに、後半部分を繋げ更に変化させたのが
連合艦隊司令長官だった山本五十六さんの言葉、

『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ
ほめてやねば、人は動かじ』

です。

子どもに口出しなどで指図するのではなく、
親がまず見本となり行う。それを説明してさせてみる。
さらには、行ったことの中から良いところを見つけ感想を述べる。

この繰り返しで変化していくのだと思います。

親が出来ないことを、子どもに求めない。
親が出来なかったことを、子どもに代償させない。

子どもには、子どもの人生、目的があります。
手出し口出しは、ほどほどに。

自分に関心をもって、自らを満たす経験がないと、
なかなか難しいことかと思います。

全ての人間関係は、人を成長させるものではありますが、
近しい間柄こそ、その効果は大きくなるのだと思います。

『子育ては親育て』
共に成長のための刺激を与え合える関係って、素晴らしいですね。
例え傍にいなくても、心の支えとなるのであれば、望ましい関係だと思います。

そのための自己研磨。
続けていきたいですね。

 
 

ちなみに、筆者、TTP(徹底的にパクる)を推奨しておりまして、
『いいな』と思うものは、取り入れ変化させることから
物事は磨かれると思っております。
(著作権など守られなければならないものはあります)