地方出身が関西に来て驚愕した日常生活・習慣に関する3つの常識

 筆者は、大学進学に伴い、関西にやってきた。

そこで学んだのは勉学よりも、『日本の中心は大阪』といった不思議な自信を持った
関西(大阪?)人の振る舞いと習慣である気がする。移り住んでX0年以上が過ぎ、
似非関西人と化しつつあるけれど、いまだに忘れない衝撃(笑劇?)の関西常識を
3つ書き記しておこうと思う。

 
 

普通に、飴に“ちゃん”づけするし、ポップにも書く

飴などを口にする習慣がなく、画像ストックが見つからないため、止む無く選択。。。ω;

 
 大学の購買で『あめちゃん 1つ 80円』という手書きの値札を見て
衝撃を受けたことから始まる。
よくよく電車でおばさま方の会話を聞いていると(いうか、勝手に耳に入るくらいの音量)、
『あめちゃん食べるー?』の一言を発端に、互いのカバンから時に袋ごとの
飴玉、のど飴などが出てきて盛大に交換会が始まる。

 地元出身の友人に『飴に“ちゃん”付けするの?』と聞いてみると、
『え?つけへんの?』と、さも一般常識のように返される始末。

 飴には《ちゃん》付けするけれど、ガムやミント系は呼び捨てのままである。
なぜ、その習慣が始まったのか、とっても謎である。
さらに言うと『お粥さん』と《粥》には、《お》と《さん》が付く。
とっても大事にされている印象である。

 
 

朝の食卓、食パンは4枚切りがメジャー。6枚は端の方。8枚切りは貴重品種

 関西(大阪?)のパン屋に行けば、食パンコーナーには、ざっくり4等分された
食パンが中心に鎮座している。続いて5枚切り。6枚切りは、まだ隅っこにいるけれど、
8枚切りは、ほぼ、お目にかかったことがない。

 慣れとは恐ろしいもので、地元に帰って久しぶりに6枚切り・8枚切りの陳列を見ると、
『うっす(薄い)!ぺらぺらやん』と思ってしまう始末である。

ちなみに、帰省した際は、物足りなさを感じてしまうので、
6枚切りだろうが2枚食してしまう。計算上1/3斤食べたことになり、たまに後悔する。orz

 
 

車じゃないのに、御堂筋や商店街、大通りの歩行は左側通行

 初めて友人と中心部に出かけた際、『左側、歩き!危ないやろ?』と注意をされ
『え?車じゃないのに??』と衝撃で一瞬《?(ハテナ)》が頭を駆け巡り、固まった。
そういう目で見れば確かに、中央を境にキレイに流れが出来上がっている。

 地方では、そんなに人混みができることもなく、有り余る広い敷地内を互いが余裕をもって
すれ違うので、車道のように『通行する側』など、特に決められていない。
状況に応じて人をよけて歩く時もあるが、そもそも避けるほど人口が密集する場所は、
片手に余るというか、盆・正月の商業施設くらいである。

 こちらも慣れてしまった今となっては、たまに旅行者らしき人たちが逆流してくると
『危ないなぁ』と思ってしまう。人間とは適応する生き物である。ω、

 ちなみに、地方では電車に乗る際も、関西ほどきれいに乗車位置が決まっていないので、
『一列(ないし、二列)に並んで待つ』という習慣もない。
互いが好き勝手に乗り込んでいくので、たまにごちゃごちゃとなる時がある。
この時ばかりは、関西(都市部?)方式を、『あぁ、合理的バンザイ』と思う瞬間である。

 
 

番外編:《グランシャトー》と《関西電気保安協会》のCMを正しく歌えるのが生粋関西人?

 どうやら昔っからあるCMのようで、生粋の関西人は老若男女、みな正しく発声できるという恐ろしさ。
似非関西人としては、『聞けばわかるけれども、発音すると何かがおかしい』という、
第二言語取得段階のあるある現象が起こり、『日本語なのに。。。』と困惑する始末である。

さて、GWの暇つぶし企画的とばかりに書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?

 どの地方にも《特有の常識》というのはありますが、関西と地方との大きな違いは、
関西人の『え?(日本の)常識でしょ?』といった風情の返しである。

 地方出身者がその土地で慣れ親しんだ商品が、他府県では取り扱われていない
という事実に気づいた時、『あ、あれって地方限定のモノなんだ』と自分の常識を書きかえるのに比べ、
関西人は、同じ状況に陥ったら『なんで取り扱ってへんの?あかんやろ?』と
その地域全体の常識を書き替えようとする感じがしてならない。

 関西人、『とても自分軸の強い愛すべき存在』である。ω、

 世界に出ても、関西人は、《KANSAI-JIN》である。